数百人のさらし姿の裸男たちがかけ声とともに櫓をかついで、飛騨古川の町並みを巡行します。
この起し太鼓は、もともと祭が始まることを知らせるために太鼓を叩いて町内をまわったことから始まったとされています。
目覚まし太鼓ともいわれるこの風習は、各地であったといわれておりますが時代の変化とともに起し太鼓へと変化していきました。
この大太鼓の上で太鼓を叩く主役ともいわれる「太鼓打ち」は、この氏子たちの憧れでもあります。
この大役は、一生に一度しかできない特別なものなのです。その思いを込めて叩く太鼓の重厚な音は、体の奥底に響きます。
古川の屋台(やたい)は、神輿行列の露払いの役割を持ちます。
明治時代までは実際に神輿行列の先導をしていましたが、大変な労力が必要なことから、現在は白屋台の名前を記した旗(大名旗)がそれに代わるものとなっています。
古川の屋台は東西文化融合の結晶といわれており、江戸からもたらされた屋台が、飛騨の匠の技量によって高められ、京都のからくり人形が加わることで独自の形となりました。
ここに塗師の技術や京都の金具、織物が用いられて、屋台芸術が花開くことになります。
19日、9台の屋台はそれぞれの地域で曳行(えいこう)されます。
明けて20日は、取決めた場所で屋台が曳き揃えられます。
磨き上げられた漆や彫刻、木彫装飾など、技術の粋を極めた美しさは静げで情緒ある古川の町並みによく似合います。
辻々では青龍台、麒麟台のからくり、白虎台の子供歌舞伎の奉納があり、絢爛豪華な時代絵巻を展開。
夜に行われる「夜祭」では、屋台が提灯を灯しながら曳行します。
小さく揺れる提灯に照らし出された屋台は、日中とは違った表情を見せます。
下段が高く飛騨最古の様式を残す貴重な屋台。
昭和59年の大改修の際、踊り台と源義経の人形を復元、百十数年以上途絶えていた子供歌舞伎を復活させました。
子ども達が一生懸命演舞する姿は多くのお客さんを魅了しています。